わたしは両親の願いで幼児洗礼を受けていましたので、高校2年生のクリスマスに信仰告白をしました。ただその時に、どれくらいキリスト教について、聖書について、自分の罪について理解していたかというと、現在の自分の基準にてらせば、よく牧師はわたしに信仰告白を勧めたなー、という感じです。一緒に信仰告白をした妹は中学三年生でした。妹も、わたしと大差なかったのではないかと思います。ただ今にして思うと牧師がわたしたち兄妹に信仰告白を勧めたのは、両親が信仰的にしっかりしていたからだと思います。当時、教会には電車を使えば小1時間、自家用車でも50分くらいはかかりました。家族で出かけていましたし、教会を休んだことはほとんどありませんでした。当時、家族で通っていた福岡南教会はまだ二種教会(現住陪餐会員おおむね20名以上、)になっていませんでした。むしろ、わたしたちが教会員となることで二種教会として申請することが出来るようになった気もします。あの時はあとふたり教会員子弟が洗礼を受けましたから、計4人も教会員が増えたのです。わたしの父は子どもの都合で教会を休ませませんでした。特に中間テストや、期末テストの時などは行きたくない、家で勉強していると言い張りましたが、午前中2時間くらいで成績は変わらない、ふだんからやっておけばよいの一言でした。両親がそういう姿勢でしたから、牧師も躊躇がなかったのだと思います。また小さな教会でしたから教会学校もさかんというわけではなく、中学生のときから大人の礼拝に出ていました。ですから、牧師としてみれば勧めない理由はなかったと推測します。ただ、いま思い返しても不足していたと思われるのは祈りです。これははっきり書いておきますが、クリスチャンになるということは祈る人になることです。聖書を読む、礼拝に出るということも同じように大切ですが、わたしがクリスチャンになったという他の人とは違うしるしは、神様にむかって祈る人間になったということです。祈りによって、わたしたちは神様との交わりに入るのです。わたしの主にむかって心を注ぎだすことができる。またとりなしの祈りをいのることがゆるされる。そのことの恵みに気づいたのは、さらにあとのことでした。祈りについてある人は「祈りは、活動状態における宗教である。すなわち祈りこそ実際の宗教である。宗教をそれに似た諸現象、道徳や美的情操などから区別するところのものは祈りである」(サバティエ)という言葉を残しています。その通りだと思いますが、しかし、それは礼拝の中で、家庭の中で教えられなければ学べないものです。わが家では食卓での黙祷はあっても声に出して祈ることはありませんでしたし、父が祈るのはクリスマスや新年、また家族に特別なことがあったときに限られていました。ですから、祈りについて、ある程度の了解というものを、当時のわたしは持っていませんでした。受洗試問会が終了する際に、じゃあ、良樹くん祈って、と牧師に言われて(わたしが最年長だったのです)、びっくり。しどろもどろに祈りだすと、一緒に試問を受けていた後輩が、うっ、とか、プッ、とか必死で笑いをこらえていたのを今でも覚えています。よほどトンチンカンな祈りをしたのか、真面目くさったわたしが可笑しかったのか、もう聞くことも出来ませんが忘れられません。このように、いろいろと足りないところだらけのわたしでしたが、だからこそ、わたしの意志に先行して、両親の信仰、神様の愛によって選ばれ、子とされ、神様の民の群れである教会に加えていただいたのだと感謝をもって思い起こします。クリスチャンが誕生することは人間業ではなく、神様の業なのです。(つづく)
聖餐、受洗教育は食卓に与る作法を学ぶこと。
前回、クリスチャンになるとは主イエスの弟子となること、イエスを主と告白して洗礼を受け、教会につながって生きる者となるという教会の筋道を確認しました。ですから、イエスをわたしの救い主と告白することは、世にさまざまある思想や、主義主張や、人物などもろもろの中から、わたしが人生を賭けて生きるひとつをイエスと定め、それを公けに言い表すことに他なりません。そのことによって一歩前に出るのです。
わたしたちの教会が属している日本キリスト教団の規則では、信徒とはバプテスマ(「洗礼」のことです)を受けて教会に加えられた者のことで、そこで初めて聖餐に与ることが出来ます。ですから、教会のメンバーは、現住陪餐会員と呼ばれます。聖餐式に陪席する会員という意味ですね。教会の中心は説教者の立つ講壇ではなく、キリストの贖罪をあらわす聖餐卓です。この主イエスが整えてくださる食卓にわたしたちは日曜日ごとに招かれ、罪の赦しの宣言を聴き、聖餐によって整えられるのです。
横山良樹