伝道開始 1904年(明治37)の伝統的なプロテスタントのキリストの教会です。
日本基督教団半田教会
TEL:0569-21-3761

1月29日 感話要旨(西館)男性Tさん

今年の6月で83歳を迎える。80台になると流石に長く続いた親しい交わりが突然絶たれる機会が増えた。昨年は敬愛する友を三人も亡くし、みずからも人生をどう締めくくるかが信仰者として切実な課題となった。人生の大半を走り終えて今、痛みをもって振り返るわたしの罪と赦しの問題がある。顧みて、わたしのこれまでの歩みは神の前から逃亡するヨナの歩みであったと思われてならない。旧制中学2年時に敗戦を迎えたわたしは変わることのない真理に出会いたいとあがき、福音と出会った。そして医療から遠い僻地にすむ草の根の人たちの力になりたいという願いを与えられ、ゆるされて医療の道へ進んだ。しかし入学3ヶ月にして、父の余命二年と知り学業を諦めた。この試練に、しかし、主は逃れる道をも備えて下さり、ある婦人宣教師からプライベートな奨学金を与えられ、卒業に至った。最初の任地は半田病院の内科であり、以後63歳までの35年間を大学病院で、わたしは研究と教育に明け暮れる生活を送り、キャンパスを離れることなく、最初の神さまとの約束に背き続けた。二度、初心に応える機会が与えられたが、諸事情から見送らざるを得なかった。しかし、その事情に私心が混じっていなかったか、結果的に不信仰によって主の招きを拒んだのではないかとみずからの罪を思わずにはいられない。このことは人生の終わりを迎える今もわたしの心を苦しめる。しかし父から与えられた財産を無駄遣いしてしまった放蕩息子を憐れんで受け入れて下さったように、わたし自身も、主の憐れみによって救われ、罪赦される者の幸いを深く思う。パウロの言葉(ロマ書8:31以下)は、年老いて味わう罪の自覚に勝る確かさ、力強さで老人となったわたしの魂を慰め、夕暮れにも一条の明るい光を投げかける。神を信じる者の喜び、幸いを思う。(文 よ)