異常気象による大きな災害が今年も多かった。豪雨による広島の土砂災害や、御嶽山の噴火など多くの人が惨事に見舞われた。一瞬にして愛する者たちの命を奪われた人たちの苦悩を思い、天来の慰めを祈るばかりであった。ある時、家族に「クリスチャンは天災をどう考えるの?これでも神の恵みの中にあると思うの?」と聞かれて、とっさに声が出なかった。恵みという耳ざわりのよい言葉に迷い、わたし自身にとってもすんなりとは受け入れ難く、祈りの課題でもあったことで、どう答えるか聖霊の助けを願った。「クリスチャンは、信仰によって、この世界が神の言葉によって創造されたと信じている。そして、神は人を創造される前に、天と地とその中に住むいっさいのものを創造されて人の為に備えてくださったことを信じている。だから神様が人類救済の為に独り子イエスさまを十字架にかけ、わたしたちの罪の肩代わりをさせて救いを備えられたことを信じている。だからすべてのことをこの主イエスの十字架を通して見る。悲惨な天災・人災もすべて愛の神のご支配の中にあることを信じて生きる。何故に、と御心を問い、その答えがいつ与えられるかは判らないが、闇に対して「光あれ」と語ると、「光があった」と創世記冒頭に書かれている。クリスチャンはここに望みを置いている」、自分の中の信仰をひとつひとつ確認するように話した。迷いながらも夢中で、自分の信じている聖書の事柄を話した。貧しい知識であり、ひとりよがりの信仰かもしれぬが、この時を与えてくださったことを感謝し、主に委ねた。家族は静かに聴いてくれ、「信仰を持っている人は幸せだね」と言ってくれた。(中略)これからも十字架の主を見上げて、主イエスの復活の命に生かされている恵みを感謝して生きたい。弱さを委ねて、主に従う者とされたいと祈っている。(文 よ)