二年前の3月に社会福祉士の資格を取得し、4月から2年間、美浜町の区長を務めた。任期終了した今年4月から南知多町にある社会福祉法人に就職した。就職のさいに履歴書を3箇所に送ったが年齢等で、結局この法人のみの面接となった。「50歳を越えて、福祉の経験のない初心者が応募?」と驚かれたものだ。就職するとすぐに現場へ送られ、デイサービス介護職を4ヶ月、ショートステイ相談員を2ヶ月行い、経験をつんだ。わたしは祖父母の記憶がなく、両親も早くに他界しているので
高齢者と肌で接するのは初めてで案じたが、抵抗なく、むしろ親に出来なかったことをしているような不思議な思いが与えられた。また話していると敬老の思いが与えられるとともに、自分もやがて老いる者であることを思い、「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」との聖書の言葉が思い浮かんだ。介護の現場にいて、人生は足し算だと思わされる。一見、放置かネグレクトかと思われるような高齢者の実態も経験したが、結局は、当人とその家族が何十年もかけて積み上げた関係がそうさせているのだ。10月からは、この法人が開設した笠寺病院に南知多から派遣され、名古屋市南区周辺の地域事情の把握、関係機関との折衝、建築中の新施設の開設準備をしているが、都市部の事情は地域と違う。古い賃貸アパートでの一人暮らしや生活保護の方々が多いようだ。自分を振り返って、資格取得、区長の仕事、副業のバイク部品販売等々、様々な社会人としての経験が生かされており、わたしの人生に足し算として積まれていることを思う。今年は子どもたちが4人洗礼を受け、恵みを受けた。わたし自身、日曜日に心の洗濯をして頂く恵みを受けている。クリスチャンとされた恵みの上に諸事を積んでゆける幸いを実感する。(文 よ)