2月に我が家に三人目の子どもが与えられた。無事に生まれたこと、皆のお祈りに感謝している。これで家族が5人になった。妻が退院してから子どもたちが3人いると、家の中が騒がしい。5年ぶりの赤ちゃんの泣き声をはじめ、三者三様の訴えが妻に集中する。わたしも加えれば四者四様ということになるが、これでは妻もたまったものではあるまい。生まれて二ヶ月の三男は泣いて訴える。こちらはミルクか、おむつか、眠いのか、判断することになるが、泣き止まぬこともあり、早く言葉が出てこないかと思う。自分の気持ちを言えるようになれば楽なのにと妻とも話す。次男は5歳なので、まだ言葉で自分の感情をうまく表現できずに怒ってしまうこともある。長男は4年生になったので感情を言葉にすることが出来るが、年頃なのか意思の疎通がむずかしいこともある。真面目な話をしていても、べつに、フツー、どうでもいい、と明確な答えが返ってこない。年を重ねるごとに難しくなるが、これまでのコミュニケーション不足を思う。仕事ならばこういう風に伝えれば分かってもらえるというのがあるが、こと子育てだと経験不足で、どういう風に伝えたらよいか妻と話をする。言葉は人と人をつなぐ不思議な道具だ。言葉を感情にまかせて子どもを叱ったあとはしまったと思うマイナスの使い方、一方、励ましたり、人の生き方を変えるのも言葉の力でこれはプラスの使い方だろう。いまはメールや携帯など自分の気持ちを訴える様々な道具があるが、業務連絡は出来ても関係を作っていくのは会って話すことだと思う。道具では構築できない関係がそこにはある。親と子の関係を作っていく中で言葉を学びあうことが出来る。言葉は神様が与えられた人に欠かせないものだ。このシンプルなものを生かして自分も子どもも成長してゆければと思う。(文 よ)