2015年1月27日
もうすぐ40歳になるわたしの次女が大学に入学した時、だからもうかれこれ20年近く前のことだが、娘は何のサークルに入るのだろうかと思っていた。音楽は幼い頃にやめており、ダメだと思っていたのだが、ハンドベルに入ったと聞いてビックリした。その頃のわたしはハンドベルに対する知識も興味もなくて、卒業近くになってハンドベルのフェスティバルに娘が参加するというので夫と二人で聴きに行った。たくさんの参加、演奏があり、帰る時にはいいものだね、と言って帰った。ちょうど時期を同じくして、わたしは知多奥田キリスト教センターで受洗した。さて数年前に半田教会にハンドベルが導入され、娘もしていたなと思い、わたしも水曜日練習のグループに申し込んだ。60の手習いで不安もあったが、みな同じようなレベルで、あ、間違えた!といいながら何回も練習し、曲のかたちが出来て、褒められるととても嬉しい。みんなで拍手。この年齢になって新しい喜び、恵みが重なって感謝である。今は、恵みと思えることでも、辛かったり、苦しかったりする時があり、後になってから、あのときの苦しみは神様の恵みだったのだと思わされる。そのように与えられる恵みもあるのだ。
先日の教会報「石の柱」に中部ハンドベルフェスティバルに参加したときの話が載った。火曜日のグループはハイレベルで力がある。最近は第二週伝道礼拝の朝礼拝の前奏がハンドベルになり、すごいと思う。ぜひとも頑張ってもらいたい。わたしの属している水曜グループは、月一回の練習で、練習後は皆でお茶の時もあり、それはそれで楽しい。わたしにはちょうどよい練習量である。神様の下さったこの素晴らしい恵みに感謝しつつ、なるべく長く続けられたらよいと思っている。(文 よ)