わたしたちは人生の中で、男女を問わず、愛し愛されたりする経験をしてきていることと思う。それは、しかし、若い頃のことで、老人の域に達した者がそういう体験をすることはないとわたしは思っていた。しかし、そうではなかったのである。
昨年秋、50年ぶりに大病をした。甲状腺ガンの宣告を受けたのだ。ガンはすでに国民病であり、ついにわたしにも来たかという感じだったのだが、動揺する家族や、周囲の反応を見て、わたしもどう対応するか悩むこととなった。手術日も決まっていたが、自分なりに納得したいとの思いもあり、T兄に相談することにした。T兄はきちんと事柄を整理してくださり、お任せしてもよいと言ってくださったので、わたしも冷静になることが出来た。このように多くの教会員の祈りや、励まし、アドバイスをファックスなどでいただいて手術にのぞむことが許されたのは本当に感謝であった。手術が無事すんで、結果の報告をしなければと息子たちに手分けをしてやってもらったのだが、息子たちの想像以上にみなさまの反応が大きく、お母さんは、どれだけみんなに思われてるの!とそのことが逆に息子たちの驚きのようであった。そこで、わたしは、だってわたし神様に愛されているもの!とドヤ顔で返したものだ。息子たちは、何、神様?と若干の沈黙があったが、わたしはキリストの愛について、主に招かれた群れである教会の交わりについて語り、神様の愛は人を介して現れること、神様に愛されているからこそ、それが出来ることを、わたしの言葉で伝えることが出来た。病気を与えられたことがわたしの生きている土台を、どこに置いているかを家族に証する機会となった。声のほうもようやく讃美歌がうたえるようになり有難い。加齢に伴い厳しい現実も突きつけられるだろうが、互いに支え合えたらと願う。(文 よ)