この夏、パウロの足跡を訪ねる旅行をゆるされてテサロニケ、アテネ、コリント等をまわって来た。印象深かったのはアテネのアレオパゴスの丘、哲学者たちの議論の場で、ここでパウロも演説をするが復活の話になると嘲笑され、失意でそこを降りたという石舞台が残っていた。コリントのアゴラ(広場)でもパウロが異邦人伝道を志したという場所が印象に残った。最後はローマの地下牢も訪れた。実際に現地に立って、パウロが何を考え、ここで語ったかを想像してみた。帰ったらその思いをもって使徒言行録を再読しようと考えた。使徒言行録のなかでパウロは初めサウルとして登場する(7章59節)、この時はステファノの殺害に賛成する迫害者として描かれる。9章に有名なダマスコ途上の改心がくるのだが、それを大木淳二氏の書いたパウロの本を参考にしつつ読んでみた。この本の特徴は生前のイエスとパウロは面識がなかったというのが通説なのだが、それを大胆にイエスの十字架刑をパウロが見ていたのではないかと考え、そこで「父よ、彼らをお許しください。彼らは自分が何をしているのか知らないのです」という主イエスの執り成しの言葉を聞いたとする点である。それがステファノ殉教のときに「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と叫んだことと響きあい、自身が「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」、「主よ、あなたはどなたですか」、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。~」という会話を交わすなかで、彼を決定的な改心に導いたのではないか、とする点である。このパウロの改心とその後の働きによって、教えが世界に広まり、わたしたちの教会があり、その中にわたしも入れられている。2千年以上の祈りがつながり、わたしたちの居場所がある。これを次へつなげる祈りと働きを篤くしてゆきたい。(文 よ)