どなたにも生涯を通して親友と呼ぶ人がいよう。わたしにも大切な人がいる。その人とは40年前に、子どもの幼稚園入園をきっかけに知り合った。知らない地に来たばかりで知人とてなく、仲良しグループにもとけ込めぬふたりであった。彼女は進歩的で情に厚く、正義感の強い尊敬できる人であった。詳しい事情は知らなかったが新築したばかりの家を出ねばならなくなり、近所に越してきたのもわたしとの友誼によってだった。38歳のとき高校受験をひかえた息子と小学5年の娘を残して夫君を亡くされた。しかし彼女は試練を乗り越え、力強く生き、子どもたちも立派に成人して家庭をもち、孫をふたり与えられるにいたった。自慢せず高ぶらず、その姿勢は変わらなかった。ところが昨年のある日、彼女から消え入るような声で息子が今、くも膜下出血で亡くなったという電話があった。42歳という若さである。衝撃で言葉を失った。どう向き合ったらよいのか。憔悴しきった彼女がもしや後を追うのではないかと案じ、さりげなく足を運び、顔を見、話だけを聴いて帰る日々が半年は続いたろうか。ある日わたしは、息子さんを亡くした悲しみをなくすことはできないが、あんなに可愛い子どもをふたり残して下さったではありませんか、と思わず口にしてしまった。ああ言わねばよかったと恥じ、謝まろうと家に伺うと、思いがけない言葉が返ってきた。40年来、あなたのさりげない言葉と振舞いに、どれほど慰められてきたか、これが神を、信仰をもっている人の生き方かと、わたしは信じる者にはなれないが、羨ましく思いますと言われたのだ。体が震えた。(中略)彼女にコリント第一10章13節に線をひいて贈った。まだ彼女は教会には足を向けないが、中風の人を運んできた4人の担架卒に倣ってわたしも働き、祈りたい、用いられたいと願っている(文 よ)